「神社の歴史を知りたい」
「神社本庁ってどこにあるの?」
「神社本庁の役割が気になる」
日本には明確な宗教がないと言われていますが、それは正しくもあり間違いではあります。
日本で生まれた宗教と言うのは確かにないものの、神社と呼ばれるものが存在しておりこれは神道と言われる宗教のようなものが存在しているからです。
これが宗教かどうかは争いがありますが、宗教の定義に当てはめると実は宗教とは言えない部分があることが理解できます。
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神社の歴史
宗教と言うのは、教祖がいて教典があるものですが、日本神道の場合にはそもそも教祖も教典も存在しないわけです。
そのような意味においては、定義から外れますのでまた別の考えた方が良いかもしれません。
日本に非常になじみがあり自然に出来上がったものと言われています。
あまりにも歴史が古いため明確な意思はわからないものの、古くは伝記の中に存在しています。
この内容は非常に大切なもので、代々教育として受け継がれる必要がありますが、現在学校ではそのような教育を行っていない傾向があります。
それに関してしっかりと勉強しない国はやがて滅びると言われている通り、今後日本でもそのような教育をしていく必要があるでしょう。
なぜ自分たちが生まれたのかそしてどのような国なのかを知るためには、そのような勉強が不可欠になると言って良いです。
後は、大人になって個別的に勉強するしかないですが、単に机上の空論だけ学んでいてもあまり魅力的な内容とは言えません。
そこで実際に足を運ぶことが必要になりますが、例えば神社などに行くことにより日本神道の1部を垣間見ることができるかもしれません。
七五三に行きお参りをする習慣
おそらく多くの人は、子供の頃から神社と言うのは非常になじみの多いものだったかもしれないです。
例えば物心がまだついていないうちに、七五三に行き、お参りをするようなことがあります。
なぜお参りをそこでするのかわかっていない大人も多いですが、なんとなく習慣だから行っていると言う傾向があるでしょう。
もともと七五三に関して言えば、江戸時代より前からスタートしたと言われていますが、特に盛んだったのが江戸時代位からです。
江戸時代から明治にかけては300年以上の歴史がある中で、七五三の歴史もそれなりに古くからあるわけです。
当時は、子供が生まれたとしてもすぐになくなってしまうケースが多かったといえます。
特に5歳までになくなってしまう子供が圧倒的に多く、そのような状態から抜け出すためには客観的に伝染病や医療の体制をつける事が必要になりますが、それだけでは不十分と言えるわけです。
そもそも、そのような時代に合わないようなものは当時からあったわけではありません。
江戸時代の友といっても、現在の医療とは比べ物にならないものがあります。
現在の医療の方が、発達しており、小さな子供がなくなる確率が大幅に減ったのも、やはりその部分が大きいでしょう。
加えて、日本は比較的清潔な国だったかもしれませんが、伝染病などにかかる可能性もありました。
人々に親しんでいる神社に行き神頼みをする
そのような状態の中で、子供が長く生きるためにはやはり最終的に神頼みしかないといえます。
そして人々に親しんでいる神社に行き、神頼みをすることになります。
現在では、小さな子供がなくなる確率は1%もないと言われていますが、子供の健康を祈願して七五三を行うと言う流れが今でも続いています。
日本人はそのような伝統を大事にし、大切にしていくものです。
ほとんど日本新党に関して知識がない人でも、なぜか七五三だけは行くと言う形です。
最近は勘違いをして、写真撮影だけで済ませようとする人がいますが、本来写真撮影は写真館が売り上げを伸ばすために行っているものであり、七五三になくてはならないものではありません。
むしろそれは逆で、まずはお参りをしっかりした上でその後写真を撮影するそして自分たちで撮影するだけでなく写真館に行き一生の思い出として撮影するが普通の流れです。
お賽銭を投げる意味
七五三以外にも、定期的にお参りをしている人は少なくありません。
お賽銭を投げると言う事は、一体どのような意味があるかと言う意見もありますが、これは自分自身に対する決意であり普段自分が生きていることに対する感謝の気持ちと言っても良いかもしれません。
人間は、傲慢な部分もありすぐに油断をすると傲慢になってしまいます。
しかし、人間は生きているのではなく生かされていると考えるのが普通です。
何故かと言えば、いくら生きたいと思っていても寿命が来たら当然なくなってしまいます。
逆に、もうこれ以上生きていくのは嫌だと考えている人でも、寿命が来ない限り自分で命を絶つ事は難しいでしょう。
中途半端に、未遂等の状態になってしまい後で後悔することになりかねません。
特に前者の場合には、人間の力はそれほど大したことがなくやはり自然の力の方が圧倒的に強力です。
まとめ
寿命が来るまでは、その人は生き続けることになりますがそれを感謝すると言う意味においても神頼みと言うのはとても重要になります。
そして、自分が生かされていることに対する感謝としてお賽銭を投げると言う考え方もできるかもしれません。
最終更新日 2025年5月12日